2011年10月20日木曜日

すみません。ちょっと宇宙人にアブダクションされて…。

いや、嘘です。宇宙人にさらわれた訳ではありませんが…。

本人何か悩んでいたようです。
ようです…と言うのは、自分の脳みそで認識出来ていないのです。
何なんでしょうね。

ボケが来たんだろうかと不安にもなりましたが、
こんな時間も、もしかしたら人生のなかには必要なのかもしれないと
思い直す事にしました。

薄れ行く自分のアイデンティティー…。

2011年8月22日月曜日

あれっ、1ヶ月がいつの間にか経っちゃってる?!!

激しくすみません!!!m(_ _)m

暑さで脳みそが誤動作しておったのでしょうか?

UFOにでもさらわれていたのでしょうか?

…いや、ただの夏バテだったのだと思います。m(_ _)m

やるべき事は山積みですんで、これから頑張ります!!

2011年7月23日土曜日

お見苦しい悟東の言い訳。。。

すみません。○法輪9月号の特集『はじめての空海と密教美術』の中の東寺の立体曼荼羅の全体のイラスト、各尊のイラストを描かせて頂いていて、ブログがお留守になっておりました。申し訳ありません。…と言いながら申し訳をしております。(^^;)

でもって、19日の朝に一応完成してデータ転送して、彼岸寺の取材で上野『空海と密教美術展』の記者発表に出かけました。
 
『空海と密教美術展』…良かったですよ。
私的にはいつも描く時に苦労する大威徳明王のおみ足のつきかたや、明王がたのみ手の着き方をじっくりと拝見出来るまさに千歳一隅のチャンスでした。

なにしろ、仏像の周りをぐるりと一周出来るのですから…。

それに弘法大師空海の直筆の書物の数々…。最古の曼荼羅。etc

迫力があります。

一方外は台風の影響で、強烈な雨が降ったり止んだりで猛烈な湿度、…私は行き帰りの道では徹夜明けで目の下に隈のある汗だくの妖しいおばさんでした。(^^;)

でもって、家に帰ってからは、納めた仕事の修正が来たり、○法輪の川柳のイラストを描いたりして…結局修正に関しては21日までかかったりしておりました。

で、一応重い仕事が上がって、翌日22日は『幸せお呼ぶ仏像めぐり」の本が出版されたら出来るだけ早い時期に描かせて頂いたお礼にお参りしようと思ていた「豊川稲荷東京別院」へお参りする事にしたのです。

実は31尊描かせて頂きましたが、ただ一尊だけ祀られている本尊様にお参りした事がないお方が「荼枳尼天さま」だったのです。

細かく話しますと…一般的には伏見稲荷神と混同されて考えられている事が多いようで、私としては二神は全く違う神であると言う事が伝えたく、さらに世間的にいろいろと誤解を受けているように思われる事もあったので、描かせて頂きたい神さまでした。

しかし、私は荼枳尼天さまにお参りさせて頂いた事が無かったのです。…それで描かせて頂こうと言うのが大変無謀な話しなのですが…。
やはりと言うか、制作は難航したのです。

……ここからは、漫画家悟東のたわごととして聞いて頂いて良いのですが…
例によってあまり睡眠もとらず、つくえにこびり付いていた私は、夢を見たのです。
大きな輝くキツネにまたがった恐ろしく綺麗な女神様が、ぽーんぽーんとキツネとともに飛んで来るのです。何か嬉しいやらちょっと恐ろしいやらで、『本が出来上がったら、必ずお参りに参ります』と約束をして…目が覚めたというか…。
でも、その夢の御陰で一気に描けたと言うか、そんな感じだったのです。

ですので、荼枳尼天さまには出来るだけ早くお参りしたいと思いながら、本が出来上がる少し前に頂いた東寺の立体曼荼羅のイラストの出来上がり待ちという感じになっていたのです。

で、やっとお参り出来た22日は…お参りするまで全く頭から抜けておりましたが、荼枳尼天さまの縁日だったのですね。

お参りする事が出来て、ありがたかったです。

2011年7月13日水曜日

すみません。〆切が重なってしまって…。

申し訳有りません。
今、興教大師伝と立体曼荼羅のイラストの〆切が重なってしまって…。

ええ、1つ前のひとり言の中のお不動様のセリフの通りなんです。(T_T)
善処の努力をします。

…ということで、ここのところ「ひとりごと」も「読者の声」も更新出来ていないんです。

…ごめんなさい。  m(_ _)m

2011年7月4日月曜日

雑な鉛筆がきでごめんなさい。

ごめんなさい。頑張ります!!

奇跡のひとつ

出来上がった本をご覧になって、漫画のテイストとは風合いの違う 凄く綺麗な各尊のカラーイラストが目を魅くと思います。

そのイラストは悟東の同年齢の友人の山本貴嗣氏 が1ヶ月半全精力を傾けて描いてくださったものです。(尊のお顔は悟東が調整しております。)

山本貴嗣氏は業界でも屈指の絵の上手い漫画家で、そのこだわり方は驚く程で、アシスタントさんも技術が未熟だとかなり許せなくなってしまうタイプのお方で、今現在はアシスタントさんを全く使わず、ご自身一人で漫画の制作の全ての行程をこなしていらっしゃいます。

山本氏とはよくスカイプで話しをしながらお互いそれぞれの作画をしていたりするのですが (バーチャルスタジオ的)、 丁度この本の企画が通った頃、やはりスカイプでその話しもしていて、各尊のリアルイラストの部分の話しをしていたら…

山本氏「あすかさん、リアルな仏さまの身体を描くの大丈夫ですか?」

悟東「う〜ん、下絵の時にデッサンを見て頂けたら嬉しいですが…見てラインを直して頂けたらホントに有り難いですねぇ」

山本氏「ええ、時間がある時でしたら、それぐらいの事でしたらいたしますよ。」

悟東「ありがとうございます!」

[ …で、しばらくして山本氏がめずらしく仕事の狭間で1週間位の時間が取れると言う事になって ]

山本氏「時間が1週間あれば、私はもう少しお手伝い出来ますよ。」

悟東「それは有り難いです!では私の絵の後ろにリアルで躍動的な仏さまの絵をザックリと描いていただけませんか?」

山本氏「やりましょう!」

…で、作画が始まって悟東がかなり苦戦をしているのを見ていられなくなった本当に善良な漫画家である山本氏は裏にはる絵ではなく、メインの仏さまの身体を描いてくださる事になたのです。しかも顔は悟東が直すという事も了承の上で…。
普通だったら有り得ない事です。
時間もザックリとした絵とは違ってかなりの時間も体力も神経も使います。1週間などでは決して出来ません。

結局、各尊のリアルなイラストに1ヶ月半の期間がかかり、何とほぼぴったりとその期間、山本氏には奇跡的にその時間が作られていました。(先方の事情で連載開始の時期が先に延びたりと…)

そして、何よりありがたかったのは普通だったら割の全く合わない仕事なので、速攻で断るであろうマネージャーの山本氏の奥様が その仕事の後押しをして下さった事です。

悟東が至らないばかりに、山本氏にはかなりのご無理とご迷惑をおかけしたと思います。
悟東としては感謝とお詫びしかないのですが…。(悟東は本来ギャグ漫画家なので、リアルな絵は得意ではなかったのです。)

でも、今にして思うと、仏様がたが リアルなイラストを山本貴嗣氏に描いてほしかったのではないかとも思うのです。

そうでなければ、あのお忙しい漫画家がちょうどその時に1ヶ月半も時間が取れるわけがないと思うからです。

 山本貴嗣氏は特定の宗教を持っているわけでは決して有りません。

しかし、崇高な存在への敬意は決して忘れない方ですし、先祖を始め自分を取り巻くあらゆる存在への感謝も忘れない方です。
そして何よりも、漫画(絵)を描くという事に関しては、まるで行者のように 真っ直ぐです。

そのような山本氏に仏樣がたは身体を描いてほしかったのではないだろうか…。

そんな風に思えてなりません。


(もちろん、悟東は自分の至らない部分は深く反省しています(T_T) )

追記:なぜ企画でリアルな仏さまのイラストを入れたか、気になるかもしれませんね。
それは、読者の皆様に、『仏さま』が『仏像』のように固く動かないイメージではなく、活き活きとまるで息吹を感じるような『動く仏さま』のイメージを持って頂きたかったからです。

さらに追記:山本貴嗣氏のブログでも『幸せを呼ぶ仏像めぐり』の事が書かれております。こちらも合わせ読むと上記の事がよくわかります。lhttp://atsujiya.blog96.fc2.com/page-1.html

2011年7月1日金曜日

そういう事もあるもんだなぁと。

何と、自分のブログに入れないという状況になっていました。(^^;)

ご覧になってらした皆様申し訳有りませんでした。m(_ _)m

何をやっても、pc 自体をリスタートしても全く入れなかったんです。
理屈の塊のようなコンピュータやネットだけど、理屈抜きにいったいどうしちゃったんだ〜っって思う事ってありますよね。

でも、コンピュータの専門家であるウチの旦那さんに言わせると、それは使う側が理解していない部分が作用してるんだと、回線の不具合とかもちゃんと理屈があるんだそうで…。
それを、何も考えずにコンピュータのせいにしたり、ネットのせいにしたりプロバイダーのせいにしてはいけないとたしなめられます。^^;

つまり、自分が理解出来ないという事をまるで相手が不完全であると言う事を前提に他のせいにしてしまうという事は如何なものだろうか…という事で。
何かかややこしい話しになってきましたが。^^;

私はそれを聞いて、何か密教っぽいなぁって思ったりしておりました。

密教の『密』はなにも『秘密』にしている訳では無く、受け取る側の方が理解出来ずあたかも秘密のように解らないと言う意味もあるのです。

人は自分の理解出来る範囲でしかものが見えませんし、考える事も出来ません。
自分の理解を超える部分は時として不思議とか理不尽とかそういった言葉や感情で処理します。もしくは自分の理解出来る枠組みの中に無理にでも取り込もうとしてしまいます。

今はただ、自分が解らない事が多く有る事を理解して、その『解らない』事が氷解する日が訪れるように 何事も精進なんだなぁと思います。

…いろいろ書きましたが、結局私はブログの管理すらままなっていないと言う事で…精進します!!!  m(_ _)m

 まだまだな私が言うのもなんですが…。
心を開いて真っ直ぐ祈って行くと
見える世界がどんどん変わって行く…。
私にとって、密教って本当に素敵です。

2011年6月29日水曜日

夏っぽくなって来ました。

今日は(いや、厳密には昨日になってしまいましたが)、夏らしい一日でしたね。私は家でする仕事なのであまり外には出ないのですが…。
部屋の中でも汗だくだったし、空気が夏の香りがしています。夕方に買い物に出かけたら、スーパーのクーラーにみなホッとしているかのような表情の主婦が多かったような…。
冷凍食品のコーナーは特に涼しいですね。^^;

私は『幸せを呼ぶ仏像めぐり』が無事に発売されてから…なんか荷下ろし鬱というか…行者として情け無いのですが…そんな感じだったりします。

本の制作中、どれくらい書籍と資料とノートと格闘しただろうかと、今日は使った資料を整理しながらそんな事を思い起こしていました。
どんなに理屈でアウトラインを描こうとしても描けなくて、結局点と点をつないで紡ぎ上げて行くのは『祈り』だったのです。

自分が慣れ親しんだ漫画の描き方では描き進む事が出来ず…。

きっと私がもっと素直な人間だったら…違ったのかもしれないけど。
でも、漫画家として面白さにこだわりたかったし…。1尊につき2ページという限られた空間で何を描くか悩んだり。

たった一冊の本なのだけど、私に取っては本当に行者としても漫画家としても主婦としても母としても 未熟でヘタレな自分を遺憾なく自分の前にさらけ出す事になったのです。認めざるおえないというか、そうなんだから仕方がないのでした。

でも、仏さまの本だからと言って何としても良い本に描き上げたいという欲だけが膨らんで行ったのです。

…でもね、私が今、経験から思うに良い仏さまの本って、『自分」がいくら努力しようが描けないのですよ。 『自分が』っていう『我』が無くならない限り…。
これって『祈り」と同じなんですよね。

結局私の『我』がむくむくと頭をもたげている間は、私のペンはピタリと止まって進まなくなっていたのだと今はそんな風に思えるのです。

 漫画家って『我』が強い人の方が圧倒的に多いと思うのですが、私も強烈に『我』の強い人間としてジレンマに苦しんだわけです。

何かひとりごとと言うより、ヘタレ独白になって来たので、今日はこの辺で…

暑さの中、皆さんご自愛ください。^^

2011年6月28日火曜日

サイトを作ってみた

現実には、ほとんど旦那に頼って作っていただきました。
…このようなサイトでも結構手間がかかりました。私はアバウトな性格、旦那は完璧主義者、両者の話し合いはなかなか難航します。

私「あ、そんな感じでいいんでは?」

旦那「え?変だよこれ?!こっちの方が良くない?」

私「あ、それでもいい感じ」

旦那「どっちなんだよー!」

私「どっちでもオッヶー。」

旦那「怒!!」

ってな感じです。ごめんなさい、旦那さん。


話し変わってこの本の制作は本当に長い時間がかかりました。
ひょんな事から、仏さまのご本を制作させて頂くご縁を頂いてとっても感謝感激でありがたい事なのですが、…私自身の問題も多く、実は制作は難航したのでした。

よく漫画の制作では、「漫画の神が降りて来るのをひたすら待つ」とか言いますが。
私は制作時間を読むのがとても苦手な作家なんですねぇ。あらためて実感しました。

でも、今まで日刊紙の4コマも、月刊誌も、新聞で取材漫画を週刊で描いていた事も有り、その時はちゃんと〆切に合わせて描いていたので(そりゃそうだ!)、自分がそんなに時間オーバーして描けなくなるとは夢にも思っていませんでした。

良い本を作りたい。その為なら儲けは度外視だ…。そんな風に私の中では、何か特別な意識が膨らんでいました。自分が何か出来そうな気がしていたんですよね、この頃は。…今、本が出来上がって思う事は、私は個人では何も出来なかったと言う事を思い知らされる事になりましたが…。

企画編集の土倉さんが、企画を通してくださったのが、一昨年の冬でした。
それから内容を煮詰めて、山本貴嗣先生に各尊の1ページ目の作画協力をしてもらう事になって
土倉さん、山本先生と私で打ち合わせをしたのが、去年の2月1日でした。
新百合ケ丘駅の近くにあるビルの中のOBという何もかもがビックサイズの喫茶店で、窓の外は雪が降っていました。

1〜2ヶ月もあれば出来るだろうと、そんな風に思っていました。
それがその後1年4ヶ月も経ってからの発売になろうとは、その時は露程も考えてはいませんでした。

この本の制作はそんな風に始まったのでした。

(また、ちょこちょこと時間を見つけて独り言を書きますね。^^)