2022年3月21日月曜日

怒らないおこらない…お腹減るから。

 最近気になることがあります。

戦争や色々な社会不安とかあるご時世なのですが

「こいつは許せん!」

と結構頻繁にある対象に対して怒りを起こしたとしますと…


怖いことですが、その怒りの対象の精神エネルギーにに取り込まれていくように私には感じられます。


相手にダメージというより、自分がダメージを受けちゃうんですよね。

下手すると人や物事によっては、悪い方に元気になるやもしれません。(←意味不明w)

あまり考えないかもしれませんが、誰かに怒るとか憤慨するということは、

その憤慨した相手と同じ土俵に上がって、目には見えませんが戦っているようなものです。

どんなに高尚なことを言ってても、「許せん!」となると

精神的には泥試合をするくらい自分を貶めてしまって、自分の受ける精神的ダメージが大きいように思います。

 

水木しげる先生の漫画の中のセリフの名言に

「ケンカはよせ、腹が減るそ!」

というのがあります。

本当にそうだと思います。

でも、到らない私は、自分が怒りに飲まれるまで気がつかないことが多くてお不動様に叱られます。


ウチのお不動様は

不動さま「怒りや恨みを感じたら、それをこっちに寄こせや!燃やしたる!」

不動さま「お前ケチやから。そんなもんさえ渡さへんよってに💢

    …だったらムッとした時には

          仏の慈悲の光の中にいる自分をイメージせい!」


不動さま「慈悲深い母親に抱かれて、その温かさを感じながら、

        安心して母乳を飲む赤子のような感じをイメージせい!」


悟東「そりゃあ気持ちいいイメージですね(^-^)」


不動さま「せやで!その仏の慈悲の光が自分も相手も飲み込んでいくイメージや!」

   「ムッときたらこれやで!」


…私のようなヘタレには、なかなか難しいかもしれませんが、試してみようと思います。


昔、子育ての最中に保育園の娘から、生活に疲れてため息をついている私に

「私は死ぬ最後の瞬間まで幸せでいる権利がある!だからママももっと幸せでいなきゃ!」

って言われて驚いたことがありますが、、、そうなんですよね。

わざわざ自分を不愉快にするより、全てが仏の慈悲の光の中ってイメージをした方が

お腹は減りません。お腹を減らしてこれ以上食べては健康を害します💦


怒ったり嘆いたりするよりも、慈悲の光でその感情を満たしてそれが自分を超えて広がっていくイメージをしてもいいのかなって思います。

 

ーーーーーーーーーm(_ _)mーーーーーーーーーーーーー

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あ、本もよろしくです(^ー^)

⭐️ 『教えて! 仏さま -あなたに寄りそう仏さまBOOK』(じゃこめてい出版、2017年)

⭐️ 神さま仏さまがこっそり教えてくれたこと』(ダイヤモンド社、2018年)

⭐️ 『神さま仏さまが教えてくれた 迷いをすっきり消す方法(ダイヤモンド社、2019年)



 






2022年3月16日水曜日

ブログ忘れてしまっていたくらいにお久しぶりです!

 ブログの存在を忘れてるなぁ悟東! と思っておいでだったと思います。

いや、皆さんもすっかりこのブログの存在をもうお忘れの頃で悟東の秘密のノートと化しているように思います(;^-^;;)

ほんの2キロメートル引っ越しただけで、本当に横浜市から東京都の住民になりました。

引っ越しをしてから何年経ったのでしょうか?…もぅ自分でもわからなくなっています。

実は色々あったのですよ。Facebookにも書いていないのですが…。


ここに引っ越してから、色々あったお陰様で私の人生観はすっかり変わりました。


マジでビックリなことが実際にいくつも起こるものなんですよね。

細かいことは家族も関わることですから今は書けないことも多いんですが…。


病気ではないのですが……、一回 命を失われそうな局面もありました。

結構シリアスな感じで、そして万が一の確率で生き残ったように思います。


それからしばらく、多分かなり参っていたのかもしれません。

ずっと意識が内側に向かって深くこもってしまっているような感じでした。

それが少し落ち着いた頃に新型コロナが流行り出し、さらに部屋にこもってボーッとする(瞑想三昧って言えばかっこいいんですけどねw)日々が続きました。


かといって、全く人を遠ざけていた訳でもネットを控えていた訳でもないんですけどね。

自発的なお話会は結構減ってブログも離れていたとは思いますが…。

 いや、こんなこと書いてて、何も変わってなかったよ!…ってもしかしたら言われるかもないんですけどねw


悟東的には、多分、世界の見え方や価値観とか人生観が変わってしまったってことなんですが、実は人からみるとただの老化してボーッとするのが進んだ悟東って感じに見えてると思いますし、もしかしたらそれも正しいのかもしれませんw


これから、また、ボチボチ動いていこうと思います。


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2016年9月18日日曜日

〆切で時間ないんだけど…忘れないために…

実は引っ越しをしまして…

その顛末も書きたいんですが、
引っ越しで漫画の〆切や予定が
大幅に遅れてしまって…。

ですので、
今日は備忘録として書きます。
なので、何か意味不明
とか言って怒らないで下さいね。
漫画家的な解り易くと言う
サービス精神は追いついて
いません。

引っ越してから祈っていると
…ここのところ、
お不動さまが質問をして来ます。

『お前の眼は
どこにあると思う? 』

???お不動さまってばいつも
唐突に問答を投げかけて
来るんです。
(まぁ、漫画家なんで
想像力豊とか
思って頂けたら幸いです)

とっさにカタツムリの歌を
思い出しましたが
…あれは頭だったかなぁ?


眼の機能って…ものを 
見る 観る 視る 看る 診る 
…みる…

…意外と広く深い機能…

この間に、頭に
いろんな景色や映像が
飛び込んで来ています。
でもってお不動さま は

『これは何が観ているんや?』

そうか、お不動さまが
言っているのは、
物理的な眼ではないんだな。
いや。
物理的な眼に限られない
眼の事なんだな…。

そもそも、物理的なって
言い方も変なんですけどね。
いわゆる迷える我々の世界での
共通概念が物理的って言うのかな
って思ったり…。

観るって、そう考えると
突き抜けた行為な
感じがして来ます。
そもそも…観る…観られる…
この差はあるのだろうか…。

そうなってくると、
この世界のすべてが
眼になってしまうような…。

え?私がそもそも眼じゃん。

 物理的な眼を閉じて
初めて観えてくる
いくつもの世界を織りなした
果てしない世界…。

 そんな妄想に浸っていると
お不動さまが
もう一言聞いて来た…

『お前は何処におると思う?』

 …つづく

2016年4月21日木曜日

村上光照老師を拝して

 インフルからしばらくブログから離れており失礼致しました。
お茶では瘦せませんでした。(^^;)
インフルはなかなか熱が下がりませんでしたが、
おかげさまで今は元気です。



先日、村上光照老師の講演会を拝聴する機会を得ました。

ずっとお会い出来る機会を待っていました。

老師の事を書かれたページは下記
http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-237.htm

会場には一番乗りでたどり着き、最前列に座りました。

たまに飛んだり、脱線するように
表面的には見えるであろう、老師のお話しの中に
私の長年の疑問の答えがすべてありました。

そして話も終りに近い頃、老師が絵に付いて少しだけ触れました。
絵は描く人の全てがその中に出てしまう。
隠せないんですよね…って。

ドキドキしました。
私は村上老師に自分の絵を一目でも見てもらいたいと思って
自分が描いた本と、私が描いた仏さまの絵が入っているカードを
持って来ていました。

そして…講演会が終って、私は目の前の村上老師に
私の絵を見て頂きました。

「これは描いたっていうのとはちょっと違うね。
仏さまが御出でになって現れて下さっているね。」

この言葉が、本当に嬉しくて……。

そして、幸せを呼ぶ仏像めぐりの十一面観音さまの絵に
 「気高い」
 と仰って頂き感激しました。

そして、村上老師と田口ランディさんの対談が載っている本に
サインを頂こうとしたら、
老師はあなたの本を頂いたお礼を書きましたと仰ってくださいました。
感謝感激です(T0T)
今後 座右の銘にさせて頂きます。


『泉のごとく涌きいでて

うるほされゆく 地の上に

描くでなく、思ふでなくも、もよほされ

咲く花のごと あらはれたもう

佛・菩薩』





私が漫画で描く時、老婆と孫の姿も、どんな姿も、私にとっては仏さまです。

2016年3月12日土曜日

インフルエンザ

高熱を発すると
酔っぱらいのごとく陽気にギャグを飛ばしてしまう悟東です。

いろいろと楽しみな予定を目前にして、やっちまいましたインフルエンザ。

ここのところ、インフルかもという状況でも判定でかわして来ていたのですが、
ついに(+)が出てしまいました。A型でした。

悟東は病気の時はつい「面白い」ことを探す癖があります。
以前、入院して手術した時などは、入院患者のキャラの把握や
医師や看護師の日常の背景などを想像してこっそり楽しんでました。
(↑やな患者だね〜)
(漫画家も28年目ですからね〜普通の性格じゃやってられまへんわ)

いやね、せっかく時間があって脳みそが普段とちょっと違う動きをするんで
ほっとくのがもったいないなぁって思うわけで…っていっても大した事は考えませんが…。

インフルの薬で出して頂いたのがイナビルという吸入するお薬で、
一回(8吸入)の使って全部の治療が終り!

いつも忘れっぽくって薬を出されても真面目に飲まない私に
お医者様は最適なお薬を出して下さいました!!!

で、吸入……。

……何か効いてるんだろうか…?
全く状況は変わらないし…

ネットで調べたら、イナビルは発熱期間を薬を使わなかった時よりは短く出来る…とか書いてあり、タミフルのように劇的には効かない事が判明。

相変わらず高熱は続くわけで…

…何かこの熱上手く使えないかなとか思うんですよね。

水分補給をするように医師からキツく言われたのもあるのですが…
ここで、ポカリではなく「特茶」(体脂肪を減らす)を飲んだらどうだろうとか思う訳です。

もしかしたら、高熱は体脂肪の燃焼に一役買ってはくれまいか…と。


実験中です……


あ、仏さまの画像は「仏さまカード」より那羅延天さまの部分です。




2016年3月7日月曜日

夢うつつの不思議ー毘沙門様の絵

「仏さまカード」の毘沙門天さまの絵は信貴山の毘沙門天さまがモデルなんです。

実は私が「幸せを呼ぶ仏像めぐり~仏さま神さまキャラクター帳~』を描く時に訪れたのが信貴山でした。ちょうど十二年に一度の毘沙門灌頂がありました。
その時、脳裏に色濃くイメージされたのが「仏さまカード」の毘沙門さまの姿に反影されています。

では、『幸せを呼ぶ~…』の方の毘沙門さまの絵はどうなったのか…というとですね~。
実は東寺の兜跋毘沙門天さまのイメージなのです。

どうして、『幸せを呼ぶ~…』の方で信貴山の毘沙門さまのイメージで描かなかったか…というとですねー。ちょっとだけ不思議な話があったのです。

友人と3人で信貴山の毘沙門さまにお参りした後、宝山寺をお参りして京都のお寺をいろいろとお参りして、東寺を半分お参りした所で時間が無くなり仁和寺の御室会館(宿坊)に泊まりました。

疲れていた我々は、窓のカーテンというか障子を閉めずに眠ってしまいました。

そして夜中に私はふと目覚め、窓を見て驚きました。
窓の外に、仏像がたくさん見えたからです。
その中でも、明王のような忿怒の相でありながら、何か凄く端正で綺麗なお顔立ちのお姿が深く印象に残りました。

しかし、暗い外が部屋のナツメ球(蛍光灯などに付いている暗いオレンジのr小さな明かり)が付いている室内からくっきり見えるのも変だと思い、部屋のカモイとかに仏像のレリーフか何かが飾られていてそれが窓に映っているのかもしれないと思い、自分がいる部屋をぐるりと見回しましたが、それらしいものは何もありません。
そこで私は部屋の外の中庭かなんかに、仏像がいっぱい置いてあって夜中はライトアップされているんだろうと思いそのまま眠りにつきました。

翌朝目覚めるとすぐに窓に目をやりましたが、何も無かったのです。
ああ、夢だったのかと思い、その日もお参りに行きました。

ところが、びっくりしたのはそれからでした。

東寺の兜跋毘沙門天のお姿が、夢の中の窓に映っていた一番印象的なお姿と全く同じだったからです。

しかし、それだけでは終らず、家に帰ってから少し日にちが経ってからのことです。
『幸せを呼ぶ~…』は各尊に1枚づつ劇画調の仏さまのイラストを友人の山本貴嗣先生と協力して描かせて頂いていたのですが(私は顔を描き直すだけでしたが…^^;)、その山本貴嗣氏から電話が来たのです。
「今、古い海外の写真集の資料を整理していたらバッと開いたページに仏像が出ていて、その仏像が凄く印象的な気がするから、ちょっと見てくれる?」(多分こんな会話だったと思います)

と言うことでFAXが送られて来て…見たら…。

東寺の兜跋毘沙門天さまの写真でした。

これはもう。
『幸せを呼ぶ~…』では毘沙門天さまは兜跋毘沙門天さまのイメージで
描かせて頂こうと言うことになりました。

そして、「仏さまカード」の毘沙門天さまは信貴山の毘沙門さまのイメージになりました。


パステルっぽい画像が「仏さまカード」の画像です。





(『仏さまカード』じゃこめてい出版 『幸せを呼ぶ仏像めぐり』二見書房 ) 

2016年3月3日木曜日

枠(わく)

いやはや、娘にもっと親しみやすい文章じゃないと読む気がしないと言われ
ちょっと考え込んでいる悟東あすかです。

なんだかですねー。
最近これでも考え込んでしまうことが多いんですよね。
先日もちょっと自分に取っては酷いこと言われたりもしまして…。

私、元々がお寺で生まれた訳ではないんで、
お坊さんとしては常識無い方なんですよ。

しかも、お坊さんに成りたいという出発じゃなくて
弘法大師空海の見た世界に片鱗でも良いから近づいて行きたいってのが出発です。

だから、最近私はお坊さんと言うより「信仰者」なんだなって思うんです。

そもそも、信仰って何よ?ってことですが、


私的には普通とちょっと違うのかもですが、強いて言えば

『森羅万象の根元(私的には仏)に繋がっていると実感を持って確信すること』
う〜ん上手く言い得てないような
『森羅万象の根元そのもであると実感を持った確信をすること…』
…ってのが近いのかもしれません。

そんなの仏教じゃないぞって言う方もいるかもしれませんよね。


…先日、某所で再会した某禅宗のHさんに

「私は人がお前なんか仏教じゃないって言われたら、
それはそれでいいと思ってるんですよ」

って私が言ったら Hさん、ニッコリ微笑んで

「なんだ、ボクと一緒ですね」

って仰られたのがちょっと嬉しかったです。

Hさんはチベットでチベット密教をかなり修行されて来て
日本に帰ってからは還俗しご結婚されて禅宗に入られた方で、

Hさんの修行は半端無く五体投地でもヒザの骨がむき出しになるほど
続けられて、ゆかが血で汚れるのが目立たないよう赤いカーペットを引いている
とかお聞きする凄いお方です。

信仰こそ、他人の目で成り立つもんじゃないですからね。
人に何と言われても関係ない訳です。

逆に人の目が無いからと言って、自分を誤摩化すことは出来ません。

なんだかんだ言って、やっぱ自分なんですよね。



…解っちゃいるけど♬やめられない♬…じゃないけど
まだまだな自分がいるのも確かで…

……私はまだ、心のキズを引きずっていますね、やっぱり…

いやいや。新しく自分を見つけるチャンスだから……
                        精進精進……

ああ、やっぱ解り辛い文章になっちゃったっぽいです…orz







画像は「仏さまカード~秘密のメッセージ」じゃこめてい出版刊
解説書:北川宥智 絵:悟東あすか
より千手観音さまの部分です。

2016年2月29日月曜日

強さ そして 優しさ その④



ここ数回、いろいろと強さに関して書いてきました。

何で強さにこだわるのか…とお思いの方もおいでですよね?
それは以前の私が「強さ」を勘違いしていたからです。

ええもぉ、学生時代は武術に凝って道場をいくつも掛け持ちしました。
三九の竹刀に鉄柱を仕込んで素振りしてましたし…。
さらに難しい本を読みまくったこともありました。

…でもね。違ったんですよ。
強さって腕力でも論破することでもないんですよね。

本当の強さは自分の心をどんな時であれ じっと見つめられることなんです。
困難の原因として環境や他人を責めるのは違うな…と感じました。

どんな時も原因は自分の中にあるのです。

そうしていくと、人に対する感情も違って来るのです。

私はまだまだ至らぬことが多いですが…。

本当に強いと言うことは、優しいと言うことにも繋がるのだと思います。

かなり苦しい思いをしながらも、おのれの心を見つめて来た強い人は
人の痛みを知っているわけです。

だから人の痛みに寄り添おうとすることが出来るんですね。

仏の慈悲とは、とことん寄り添うことだと思うとある友人が言っていました。
私も本当にそうだと思います。

しかし、人によって人生経験も価値観も違います。
そこに完璧に寄り添えるのは仏さましかいないのだと思います。

しかし、ほんの少しでもそこに近づいて行ければと思いますが…。
寄り添うつもりで、人の心に土足で上がり傷付けてしまうこともあると思います。
(私、よくやってる気がします。ごめんなさい!)

そして、時に、世の中には「厳しさ」を優しさと言う方々がおられますが、
それは本当に難しいと思います。

「寄り添う」のとは違い、大きく人を傷付けてしまう可能生があるからです。
ましてやそこに本人も気づかぬ「うぬぼれ」がこっそり入っていたら
百害あって一利無しとも言えるかもしれません。

親が幼い子供の火遊びや危ないことをたしなめるのには
「厳しさ」が必要ですし、

そして不良少年を叱咤する教師が少年を案じ厳しく怒るのは大切ではありますが、

しかし、時として間違った怒りとなって親や教師のストレスを解消してしまうこともあります。事件にもなっていますよね。
その場合の相手の被害は計り知れません。

本当に慈愛のこもった「厳しさ」も仏さまにしか使えないように思います。

「寄り添う慈愛」にしても、「厳しい慈愛」にしても、
おのれの中に「うぬぼれ」が少しでも無いか…
やはり…厳しく厳しく自分の心を見つめなければならないと思います。


そんなこんな思うと……。

まず、心の痛みを訴える人に
仏さまの寄り添う慈愛と厳しい慈愛が必要なだけ注がれることを
信じることが…大事なのかなと。

つまりは、その人自身が痛みを乗り越えられるということを
信じることが大事なのかなと思うのです。

その上で、よくよく考えて、
出来ることをさせて頂くと言うことが良いのかもしれません。




ええと…、支離滅裂になりつつあるのでまとめます。




強さとは、何事も自分以外のせいにしないで自分の中を見つめること。

優しさとは、その人の明るい未来をとことん信じ抜くこと。




これは理論ではありません。
全ては仏さま…。

捨て台詞でも「おめぇーなんか信じられるか!」
なんて言わないように気をつけたいと思います。
そのセリフ、とりもなおさず自分に向いていますから…。





画像は『幸せを呼ぶ仏像めぐり~仏さま神さまキャラクター帳~』より文殊菩薩様
(山本貴嗣先生!キャラ帳の制作のときは ありがとうございます!^0^)
追記:画像は制作途中の教典が蓮華の上に乗っける前の画像でした〜〜〜
本を見ると乗ってるので納得頂けると思います。すみません!!!
これもレアな画像としてお楽しみください)

2016年2月27日土曜日

強さ そして 優しさ その③

 

やはり今日も心に向き合う強さについてです
実体験を元に今日は書きますね。

パワハラってありますよね。

強い立場の上司とか先輩とかが、目下のものに暴言を吐いたり
とんでもないこと言いつける状況のことです。

しかも、パワハラする連中は
「お前の為に言ってやってる」
という武器を使うのが常套手段です。

本当にその人の為を思って言う苦言であれば言われている方も
魂でわかるものです。それは痛くても素直に受けとれる言葉になっています。
心に愛があれば必ず解るものだと思います。

投げつける言葉が、その人の心をエグルような言葉ばかり選んでいるのは
ただ、叩きのめしたいという衝動を当の本人も気がつかないで
「お前のため」という言葉に陶酔して
自分は愛情で言っていると錯覚して
叩きのめしたい気持ちを晴らしていたりすることも多いのではないかと思います。

大変辛い状況ですが、やはりそんな状況を呼んでしまう原因は
自分の心の中を見るのが一番早いのです。

本当に辛い状況で心の中を見つめるのは大変困難です。

心の波が少し穏やかになるのを待って心の中を見てみると
恐らくこれかなというキーワードが出て来ることもあるのではないかと思います。

私の場合は
「認められたい」
という子供のころからのトラウマがありました。

そんなトラウマを持っているということを確認して自分を受けとめると
「認められなくても良い」
という新しい意識が出て来ます。

そうなんですよね。
パワハラするような相手に認めてもらう必要なんて皆無です。
論争もだいじな人生の無駄使いな気がしませんか?

そもそも、何か人に「認めてもらう」ために何かやろうとする事も変なんですよね。

逆なんですよ。

本当にやりたいこと、やってしまうこと、
生き甲斐を感じることを楽しくてやってしまって
……その結果が人に認められたりするのではないかなと……
そんな風に思うのです。

水木しげる先生の幸福の七か条の中の二か条目に

しないではいられないことをし続けなさい
(人に迷惑のかからないことであることは必須ですが…)

とありますが、正に そうだと思うのです。

「認められよう」としてやることって正直ちっさいですよね。
本当に心が喜ぶことは出来ないと思うのです。

だから、パワハラが起こるってことは……
そこは自分の居場所では無いと言うことなのかなとも思います。
大切なのは心も身体もそこに縛られないことです。




自分が自分をちゃんと認めていれば
人生は人に認められる必要なんかないんですよね。






画像は仏さまカードから「軍荼利明王」です


2016年2月23日火曜日

強さ そして 優しさ その②

自信って何でしょう?

「自分」を「信じる」と書きますよね。

自分の何を信じるのでしょうか?

今まで自分がコツコツと努力して来たことでしょうか?

もちろんそれも あるとは思うのですが…。

…それだけでしょうか?

アドリブに強いとか、土壇場に強いとか…

自分でも不思議と力が涌き起こって、良い結果を出した記憶がありませんか?

私は思うのです。

自分の心の奥底から繋がっている仏さま(宇宙の根元の存在)を
信じきれる状態を、本当に自信があると言うんじゃないかなと…。

だから、その状態だと物理的な結果はどうであれ、
自分に取っては一番良い結果になる…。
そんな風に思うのです。

だから、本当の自信を持とうとするとき、
人のあら探しをしたり、人の中傷をしたり、批判をしたりは避けるのが良いようです。

なぜならば、人の粗に目がいく時間を自分の心を見つめる時間にする方が良いからです。

人の批判などしてる時は、自分の心どころか、
心の外のしかも自分意外の存在として強く意識したものの
悪い点を自分を優位に感じながら探すことになることが多いからです。

自分と自分以外のエッジを際立たせている時に、
自分の心の底にある仏さまとの繋がりは極めて感じにくいと思うのです。

もしも、エッジを際立たせている状態で自信を持っているとしたら
その自信は何かの状況で簡単にくつがえる可能性もあるのではないかなと思うのです。

人の悪口や批判がしたくなったら、ぐっと自分を見つめて自分と向かい合ってみるのが良いように思います。

本当の自信は、どんな状況であろうとくつがえらないのですから。


…そして、本当の自信を持つにも
自分と向き合ってそこから逃げない強さが必要です。


…さて、精進します。