2016年2月27日土曜日

強さ そして 優しさ その③

 

やはり今日も心に向き合う強さについてです
実体験を元に今日は書きますね。

パワハラってありますよね。

強い立場の上司とか先輩とかが、目下のものに暴言を吐いたり
とんでもないこと言いつける状況のことです。

しかも、パワハラする連中は
「お前の為に言ってやってる」
という武器を使うのが常套手段です。

本当にその人の為を思って言う苦言であれば言われている方も
魂でわかるものです。それは痛くても素直に受けとれる言葉になっています。
心に愛があれば必ず解るものだと思います。

投げつける言葉が、その人の心をエグルような言葉ばかり選んでいるのは
ただ、叩きのめしたいという衝動を当の本人も気がつかないで
「お前のため」という言葉に陶酔して
自分は愛情で言っていると錯覚して
叩きのめしたい気持ちを晴らしていたりすることも多いのではないかと思います。

大変辛い状況ですが、やはりそんな状況を呼んでしまう原因は
自分の心の中を見るのが一番早いのです。

本当に辛い状況で心の中を見つめるのは大変困難です。

心の波が少し穏やかになるのを待って心の中を見てみると
恐らくこれかなというキーワードが出て来ることもあるのではないかと思います。

私の場合は
「認められたい」
という子供のころからのトラウマがありました。

そんなトラウマを持っているということを確認して自分を受けとめると
「認められなくても良い」
という新しい意識が出て来ます。

そうなんですよね。
パワハラするような相手に認めてもらう必要なんて皆無です。
論争もだいじな人生の無駄使いな気がしませんか?

そもそも、何か人に「認めてもらう」ために何かやろうとする事も変なんですよね。

逆なんですよ。

本当にやりたいこと、やってしまうこと、
生き甲斐を感じることを楽しくてやってしまって
……その結果が人に認められたりするのではないかなと……
そんな風に思うのです。

水木しげる先生の幸福の七か条の中の二か条目に

しないではいられないことをし続けなさい
(人に迷惑のかからないことであることは必須ですが…)

とありますが、正に そうだと思うのです。

「認められよう」としてやることって正直ちっさいですよね。
本当に心が喜ぶことは出来ないと思うのです。

だから、パワハラが起こるってことは……
そこは自分の居場所では無いと言うことなのかなとも思います。
大切なのは心も身体もそこに縛られないことです。




自分が自分をちゃんと認めていれば
人生は人に認められる必要なんかないんですよね。






画像は仏さまカードから「軍荼利明王」です


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